492-数字と分析とわくわく感

 

  そんなもんだ。

 こんなもんだ。

 その程度でいいだろう。

 

 例えば販促の効果を予測するにあたって、当然のように過去の
データからはじき出した数値から妥当と思われる数値をあてはめ
る。

 たとえばCPOは10000円だ。
 DMの反響は8%だ。
 紹介の戻りは1%だ。

 過去のデータに太鼓判を押され、いつしか常識として、やけに
堂々とのさばり始める。

 情熱はいつしか隅っこに追いやられる。
 意欲はどこに行ってしまうのだろう。

 予算と実績の幅を短くしようとすればするほど、安全な数値で
あればあるほど、リスクをテイクしてチャレンジすることは遠く
に行ってしまう。

 おおらかな気持ちでチャレンジ目標を設定し、今までにやって
ない大胆な策を実施しようという気運は会社に充満しているだろ
うか?

 少しづつ悪化した数字を正当な数字として受け入れデータに翻
弄されていないだろうか?(反対に好成績な数字も同じなわけだ
が低業績の場合の方が問題は深刻である)

 来月、売上げを2倍にするのは不可能だと安易に考える前に
来月は無理だけど3ヶ月後に2倍にする方法を考えるほうが
健康な思考だと思う。

 理由なんて、良い方向にも悪い方向にも、いくらでも捏造でき
る。そうであれば良い方向へ捏造したい。

 だいたい売上げが悪くなった原因は、たくさんの要因が様々な
条件で有機的に絡まっておこったわけだから、正確に把握するこ
となんて最初から無理なわけで、安易な分析でわかったような気
になることが一番危険なのだ。

 それにデータ主義が万能のような錯覚に毒された左脳主義者は
ついデータを言い訳にする傾向が強い。

 そうじゃなくてデータは攻めの道具に使わないといけないので
す。データから数字からバンバン仮説を立てる。

 この仮説を立てる能力!それもワクワクするような破天荒な仮
説を組み立てるのだ!

 そしてコストの掛からない「やること」「やれること」をスピ
ーディーに徹底して実践する。

 原因分析に時間をかけすぎるのは愚か者のすること具体的な策
を決定実行しなければ何も変化は生まれません。

 過去の数字に囚われる前に、本来はどうあるべきなのか?
そもそも論を蒸し返し、ピュアに理想から組み立ててみては
どうだろうか?

 思考が狭くなってると気づいたら、その枠外に飛び出す事だ!

 
  2005年12月09日   岡崎 太郎