690-労働の原体験

たまたま入ったレストランで、丸刈りに体操服姿の男子中学生が2人働い
ていた。聞けば3日間の職業体験だそうだ。そういえば僕の息子も先月、魚
屋さんに働きに行っていた。


 

 しかし参加する学生も受け入れ先のパートさんもウザそうだ。前向きに取
り組む気迫が感じられない。そんなわけで、改めて学習の一環としての職業
体験を考えてみた。

 いま時の中学校2年生にとって、この時期に働くということは、たったの
3日間と言えど、この体験は労働の原体験になると僕は思うのだ。

 働いた経験の無い中学二年生といえ、労働ということに対して何らかの
想い(イメージ)はさまざまあるだろう。親の職業観も多分に影響している
ことや周囲の環境、たとえば工場地帯で育ったなども影響しているだろう。

 ともかくその想いやイメージが、自ら働くことによって実感を伴い、労働
に対しての自分なりの印象が定まると思う。

 単純に、社会の先輩である大人が楽しそうに働いていれば、労働に対して
のイメージはプラスになる。労働は喜び!という印象を持つことができれば
自ずと働くことに前向きになれることは言うまでもない。

 もし反対にその印象が、労働は辛いものであると固まってしまったら?

 こう書くと引き受け手の企業またはお店の責任は大変重いものになるが、
それ以前に教師や学校はもちろん、親がこの取り組みに対して、もう少し注
意とケアをするべきではと考える。

 なにせたった3日の短いプログラムだ。しかし必要以上の手出しは、学生
の主体性を削ぐことになる。

 学生とパートさんのやりとりを観察していて思ったのだが、パートさんは
まず最初に灰皿の片付け方を教え、次に各テーブルへ水を注ぐ作法を教えて
いた。

 しかし作業を教える前に礼儀作法とこころ構えを教えるべきではと思うの
は僕だけではないだろう。

 労働とは何であろうか?商売とは何であろうか?
これだけ時代が変化の波にさらされている状況で、正解が何かを端的に答え
るのは難しい。

 ともかく単純にモノやサービスを販売し利益を得ることではない。

 自分の存在価値や提供できる価値、そして対価として受け取れる喜びは何
かを考えることだと思う。

 そして作業に終始してしまう労働を創造性を発揮し楽しい労働に変換させ
ることができるという事を教えるべきだと思うのだ。

 なかなか言葉にすると難しいが、ひとついえることは、仕事とは単純作業
ではなく、単純と思われる中にも創意工夫があり、その先に喜びがあるもの
であるくらいは学べる学習プログラムであって欲しいと思うのだ。

 具体的にいえば、ひとつは、商品やサービスの新開発や改善。効率の改善
や質の向上。人間関係の円滑化や顧客の固定化プログラム。広告手法やイベ
ント企画。仕事には創造性を発揮する局面が溢れている。

  2007年10月31日   岡崎 太郎