669-何も持たない生き方

サムイ島の最終日は、激しいスコールで目が覚めた。

 前日は朝の4時まで地鳴りのするチャウエンのクラブで飲んでいたせいで
すでに太陽は高くなっていた。時計を見ると11時を少しまわったところだ。


 

 ヴィラの隣にあるホテルのマッサージで体をほぐす。一旦止んだはずの雨
が強い風を伴ってバラバラと落ちてきた。土産にトムヤムクンの素でも買い
に行こうと思っていたが、この分だと出掛けるのも一苦労だろうなんて考え
ていたら、やはり南国のスコールだったようで雨がやんだと思ったら空が明
るくなっていた。

 僕は帰り支度を半分済ませると、1日250バーツで借りているホンダの
スクーターでチャウエンのダウンタウンへ向った。

 宿泊しているファーストバンガローはストリートの一番端に位置していて
中心街まで歩くとこれが結構な距離で、徒歩というわけにはいかない。乗り
合いタクシーも試してみたが、狭い道幅のおかげで常に渋滞していているか
らバイクが正解だ。

 チャウエンストリートの中心は途中から一方通行なので、大きく左に迂回
して回りこまなければならない、道はデコボコでところどころには大きな水
溜りができていて車が通るたびに水しぶきをあげている。

 ムエタイのスタジアムを左にして右に曲がる、そしてしばらく直進し、
また右に曲がり道成りに左へすすむ。左手にはかなり大きな人工池があって
道幅も広く視界が広がって気持ちがいい場所で、ちょうどストリートの裏筋
にあたる道だ。

 歩道を痩せた外人が一人で歩いていた。どこまで行くつもりだろう。
「どこに行くの?」
「ノープラン」男はしょぼくれていて要領をえない。

「乗ってく?」
「おお乗せてくれるのか?」

「いいよ!」

 そんな感じで僕は男を乗せた。

「その担いでるのはギターかい?」
「マーチンだ」

「名前は?」
「ミッキーだ。お前は」
「太郎だ。よろしく」

 T字の交差点を右に曲がり、ストリートを目指す。

「何日泊まるの?」
「ノープランだ」

「泊まる場所は?」
「決めてない」

 なんだ、きままな旅なのだろうか?危険はまったく感じないが、とぼけた
印象の男だ。

「どこから来たの?」
「オーストラリアだ、お前は日本人か?」
「そうだ。今日の夕方日本に帰る」

 再度T字の交差点を右に曲がると、ようやくチャウエンストリートに入っ
た。スーパーがあれば、そこで買い物と探すが、コンビニと薬局はあれど、
スーパーらしき店はない。

「ミッキー!サムイははじめてか?」
「そうだ、今朝到着したなかりだ」

 右手に「solo」が見える。
「ミッキー。このクラブは有名だから覚えとくといい」
少し進むと、今度は「グリーンマンゴ」が見える
「こっちのクラブはサムイで一番のクラブだ。このへん一帯は24時ぐらい
から朝6時までたくさんの客でお祭りさわぎだ!」

「そうか!踊るのは大好きだから覚えておくよ」

「ミッキー腹はへってるか?」
「めちゃ減ってる」
「そうかじゃあどこかで食べよう」と言ったそばから大粒の雨が頬に落ちた。
「わぉ!レストランに避難しよう!」見る間に空が真っ黒になり土砂降りに
なった間一髪だ。

 僕らは改めて自己紹介をした。ミッキーは35歳独身の筋金入りバックパ
ッカーで、なんと驚いたことに、一円もお金をもってないのである。実際に
空の財布を見せてもらう。もちろん帰りの飛行機チケットもない。

「お金無くてどうすんの?」
「ギターで稼ぐのさ」
「まじで?」
「あぁ今までもそうして来たし問題はない」

「何年?」
「約4年だね。最初はオーストラリアを歩いてまわって、そのあとマレーシ
アからインド、ラオス、ミャンマー、タイと回ってる」

「どうにかなるさって感じだね」と思わず日本語が口をでた。
「何?日本語?どうにかなるさって、どういう意味?」

「うーん。神のみぞ知るってか、何も恐れないって感じで任せちゃう感じか
なぁ」

「おおおナイスワードだ」そういうとミッキーはノートを出して、どう書く
んだとペンを僕に突き出した。「dounikanarusa」と書いて、
ついでに「mondainaisa=ノープロブレム」と書いた。
「太郎サンキュー。ぜひこの言葉を使って歌詞を書くよ」そんな感じですっ
かり意気投合してしまった。

「へぇ・・・まぁじゃあ僕が払うから、好きなものを食べてよ、じゃあ僕は
ハイネケンとTボーンステーキ!ミッキーは何飲む?」
「水があるからいい」
「もしかしてアルコールは飲まない?」
「そうだ。タバコも酒もドラッグも肉もセックスもしない」
「はぁ?セックスも?なぜ?」

「エネルギーを洩らしたくないんだ」
 うーん僕にはよくわからないが、そういう考え方もあるのだろう。

 彼はバケットとベジタブルスープを注文した。

「太郎、今日は何日だ?」
「今日は7月4日だけど・・・」
「なんとじゃあ明日は俺の誕生日だ!」
 この男にとって、今日が何日なんてどうでもいいのだろう。ちなみに時計
もしていなければ、靴もはかず裸足だ。

 また嘘のように雨が上がった。

「ミッキー食べ終わったらギターを弾いてよ」
「うんいいよ店は音楽がうるさいから、外でね」

 そしてミッキーは、マーチンを取り出すと、独特のチューニングで弦を弾
いた。

 瞬間で肌に粟が立った。
 歌が上手いわけではない。ギターもそうでもない。

 店の音がボリュームダウンして聞こえなくなった。店員もゾロゾロと集ま
ってミッキーの演奏に釘付けになった。
「もう一曲やってくれよ!」自然とコールが大きくなった。

 なんてスピリチュアルな男だろう。
 その歌とギターと野タレ死ぬ覚悟があれば、確かに生きて行けるんだね。
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 彼のバックパックを見せてもらった。雨カッパとジャンバーそしてTシャ
ツとパンツが一枚づつ、それと歯ブラシと歯磨き粉のみ。カメラも時計も携
帯電話も何にも無し。

 信じられないほど簡素だ。うーん究極に持たない生活というわけか。
マザーテレサの私物なみである。

 ちなみにオーストラリアの家も処分しているそうだ。さすがに親・兄弟の
話まではできなかったが・・・考えてみれば世界を股にかけたホームレスで
ある。

 もし日本に来たら連絡してくれ、僕は彼のノートに連絡先を書いた。

「人生は川の流れのようなもんだと俺は考えている。金もモノも対面もすべ
て捨てて、ただ流れに身を任せてるんだ。そういう体験をしているんだ」
 別れ際、男が語った言葉である。

  2007年07月10日   岡崎 太郎