819-足るを知る

 

 足るを知り志を持て!


「足るを知る」とは、すでに持っているモノに感謝し幸せを感じること。

歴史を確認するまでもなく、人間の欲には際限がありませんから、
「足るを知る」を深く理解・納得しなければ、そう簡単には不満や不充足感
から抜けることができないのです。
 

 

 「たしかにそうだ!」と納得する反面、低いレベルで満足してしまっては、
成長意欲なんてわきません。

 生半可に「足を知った」などと無難な道で落ち着こうとする輩は、自らの
人生をツマンナイレベルに落とすのです。

 自分の器は日々大きくなるわけですから、若いうちは「足る」なんてこと
を理解せずにもっと大きく望めばいいのだと思います。

 しかし「足る知る」という言葉から発散される歴史の英知を葬り去るのも
如何なものかとも思い、さっそく調べてみると「足るを知る」には、前後に
続きの文言があることがわかりました。

 そこで全文を紹介しましょう。
『老子』「道徳経 第三十三章」からの引用です。
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知人者智:人間を知る者は知恵者である
自知者明:自分を知る者は聡明、すなわち物事の分別がある。
  
勝人者力:人に勝つ者は力が強いだけだが
自勝者強:自分に打ち勝つ者は心(意志)が強い者である。
  
知足者富:「足るを知る」価値を知る者は豊かであり
強行者志有:「志を持って努力する」価値を知る者は強い。
  
不失其所者久:それぞれの本来の目的を失わない者は長くとどまる。
死而不亡者寿:死して亡ばざる(滅ばざる)者は命ながい。

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 こうして三十三章の全文を読んでみると、「強行者志有」というに続く
ことがわかります。「足るを知る」の一部分だけでは不完全なのです。

 どうにも納得できなかった疑問が解消されました。
 
「強行者志有」とは、足るを知り、豊かな気持ちで今に幸せを感じつつも
「志」をしっかりと持ち、明日の幸せに向かって生きるなら強い者だという
のです。

「志」をどう解釈するかはむずかしいところですが、僕の見解は私欲を
追求するのではなく、公の目的を自分なりにどう考えるかということ。

 儲かる?儲からない?という尺度と別次元なのです。
 
 中途半端な理解にとどまらず、きちんと調べ知ることを省略しては駄目
だなぁとあらためて思いました。

 ちなみに老子の生きた時代は、春秋時代(紀元前700年から400年前)。
 これほど深遠な内容を「道徳経81章」わずか5000字の漢字で綴っているの
ですから驚きます。


 

  2009年11月17日   岡崎 太郎