109-オカザキ講演禄(1)・転機

 

こんにちは、オカザキ・マガジン配信スタッフの井手です。
オカザキが上海出張のため、メルマガの執筆活動ができません。
そこで特別企画と称して、オカザキ講演禄を紹介します。

今回の講演禄は、6月19日に東京にて講演して内容を、
デメケンの亀田さんが書き起こしていただものを転載いたします。

 

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オカザキ講演禄 (1)
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岡崎太郎でございます。

32歳で、今度1月に33歳になります。
僕が経験していない話をしてもリアリティがありませんから、
僕がどういうことをやってきて、その中でどういうことを考えた
かということをお話しができればいいなと思います。


通販の話になるとよく聞かれるのが、

原稿をどういうふうに作ったらいいですかとか
広告の媒体はどこをやったらいいですか
新聞折り込みはどうですか、
テレビショッピングどうですか

等の質問が多いです。

それはとてもテクニカルな話になりますし、やはりプロフェッショ
ナルですから使用する写真1枚1枚、どこがシャープで、どこが どう
でという話になりますよね。

それからイラスト、文字、そんなものの話をしていたら時間がいく
らあっても足りませんので、それはまたの機会にします。

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■武富士へ就職
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僕自身は福岡県立直方高校の普通科を卒業して、何の気無しに、通
販と関係なく武富士でティッシュを配っていました。その時に、僕
が今考えてみると、通信販売をやってみて、一番大きなギフトを武
富士からもらいました。

それは何かと言うと、
武富士は督促の電話を普通の営業社員が行います。

支払いの遅れた人への督促する部署が、特別にどこかにコールセン
ターとして用意してあるわけでなくて、神田支店で遅れたお客様に
は、神田支店の社員が電話をかける。

この時にとてつもないヒントを当時もらいました。

それは、先輩社員が電話をかけるのを見ていたら、電話を3台ぐら
い目の前に置くんです。

まず1号機で山田さんに電話をかける。即保留。
2本目の電話で佐藤さんに電話をかける。これも即保留する。
3本目で南さんに電話をかける。それをこうやって聞いているんです、
右手に受話器を2つもって、左手に1つ。それで繋がったら、

「えーっと佐藤さんですか、武富士ですけど」
「どうしてお金を払ってくれないのですか」
ということを当時やっていたのです。

今考えてみると、原始的なコンピューターテレフォニー(CTI)
ですよね。CTIでアウトバウンドをどうやってやるか、これを超
アナログでやっていたのですね。

武富士で僕が良かったのはそれぐらいのことです。

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■転機
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昭和63年に入社して、64年に昭和天皇が崩御されて、平成になった
とたんに僕は会社を辞めました。

辞めた理由はとても簡単で、武富士に1年半いたのですが、名刺交換
の枚数がたった2枚ぐらいしかない。

僕の社会人のイメージは、何か「岡崎です」と名刺を出すイメージ
があって。しかし武富士は名刺交換ができないんですよ。お金を借
りに来た人と名刺交換をしてあとでストーカーになられても大変で
すし、
ちょっと飲みに行っても僕がおごらないといけないでしょう(笑)。
それがいやなので武富士は辞めました。


もともと僕は中学校の時は美術部の部長をやっていた関係もあって、
とても絵を描くのが好きで、絵を描いたお陰で人に褒められた経験
がとても多かったのです。それで自分の中でどこか勘違いしたとこ
ろがあって、

「おれはものを作りたい人なんだ」、
「ものを作れることに喜びを感じられる人なのだ」

ということで、イベント設営の会社に行きました。女子プロのリン
グを作ったり、お仏壇の長谷川さんの仕事をやったり、ユーミンの
コンサートの設営とか、そういうのを2年ちょっとやりました。

ちょうどその時に転機がありまして、今の僕の嫁さん、結婚して10
年になるのですが、できちゃった結婚で、子供ができちゃいまして、
当時手取りの給与が14万とか16万円くらいしかなくて、子供を育て
ていくだけの金銭的余裕がな。で、辞めました。

その時の僕の目標はお金をどうやっていっぱい給料をいただくかが
最大の関心事でした。その時の僕の少ない人脈の中から、

「太郎君、クロレラを売った方が良い」 と。
「クロレラを売ったら月に給与が100万円ぐらいになれる」という、

とても夢みたいな話をいただきまして、その人ベンツに乗っている
のですね。当時21歳の岡崎太郎にはそれがとてもまぶしく見えて、
何の義理人情もなく、結婚式を挙げて
1ヶ月さっさと会社を辞めて、みんなから祝儀泥棒といわれて、イベ
ント会社辞めたんですよ。

みなさん東京でよくわからないと思いますが、福岡でクロレラはヤク
ルトの下に緑色の個体が固まっている、そんな商品なんですが、それ
をクロレラと言うのですね。

ヤクルトって、1個だいたい60円くらいですよね。僕の中でとても不
思議だったのですね。1個60円のものを一体1ヶ月いくら売ったら給料
100万円もらえるのだろうって。

で、その会社に出社して、最初の1日目に僕は大きなミスを犯したこと
に気付くのです。違うんですよ、
粒が2万8000円で液が3万9000円、1ヶ月分で併せて6万7000円。
これを2年分80万4000円として売るんですね。。キワの訪問販売です。

僕はその仕事を2年半ほどやりました。
当時の話をちょっとさせていただくと、媒体関係に詳しい人がいらっ
しゃれば、たぶん5、6年前に世間を圧倒していたものですからわかる
と思うのですが、新聞の折り込みチラシでクロレラ体験特集、体験談
が15連発ぐらい載っていて、

ガンが治った、血糖値が下がった、糖尿病が治った、
こういう薬事法も関係ない

「これは啓蒙活動をやっているのだ」
「日本国民の健康を私達は考えているのだ、何を恥じることがあるか」

というものなのですが。それを折り込みチラシをバッと巻きますよね。

日本全国やっていました。当時僕が所属していた会社は日本に25支店、
社員が150人ぐらい、売り上げが年商37億円くらいです。まず原価率か
ら話すと、原価率が5.4%ぐらい。めちゃめちゃです。利益が94%です
から。

みなさんも通信販売で、耳にされたことがあると思いますが、CPO
ということを聞かれたことあります。コスト・パー・オーダー、これ
は一人のお客様に販売するための広告料金がいくらかということです
ね。実はもう一つあります。CPR、コスト・パー・レスポンス。

これは一人のお客様、まだ売れているか売れていないかわからない、
見込み客を獲得するのにいくらかかったか、もの凄いですよ。
僕がこの会社に2年半いて、

一番CPRの悪いときですね、CPRが60万円を切った。

一人のお客様を見つけてくるのに60万円のお金がかかっている。

CPRですから。CPOじゃないですから。
これは訪問販売の営業マンは大変ですよ。
はずすと、売れないと何を言われるかわかりませんから。

<次回へつづく>

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岡崎太郎(おかざき・たろう)
通信販売の部署を一からスタートし、2年間で年商を15億円に。
独自のマーケティング論を確立する。30歳を機に独立し、WEB制
作会社設立、その1年後、現在の経営者・幹部・企画担当・IT
に自信のない方や次世代のマネージャーヘ、IT関連の話題を
中心に継続的に学べる環境を提供する「itmセミナー」を主催す
る。

岡崎の詳しいプロフィールは
    こちらから http://www.it1616.com/o_story/01.html
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  2002年07月26日   岡崎 太郎