112-オカザキ講演禄(4)・いちごみるくダイエット誕生

 

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オカザキ講演禄 (4) いちごミルクダイエットの誕生
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ところでこの原価650円の秘密です。

静岡にある会社があるのですね。それを僕のツテでご紹介をいた
だいて、新幹線に乗って静岡に行きました。
 

 

静岡に行って、僕が言ったオーダーは、

「なにかギムネマを作っているらしいですね」
「ああ、作っているよ」
「何社くらい作っていますか」
「4社くらい作っています」
「ああ、そうですか月間どれくらい作っていますか」
「1万本くらい作っているかな」
「ああ、そうですか」

僕がその時出したお願いが60本で分けてもらいたい事

「シールを貼らなくていいので、茶色の瓶のままくれ」と、

何しろ お金がないですから。「お前それをどうするのか」と。

「あのうちでシール貼ります から」と言って、当時お金がなか
ったので、リコーさんに行ってB4の仕入れシート に、2色印刷、
イマジオという特色4色を刷る、あれの2色で僕がデザインして、
それを当時マックをもっていないのでウィンドウズの3.1で作っ
たんです。

そしてシールを手でまいていました。アルバイトもいませんから
僕が貼っていました。そのしょうもない商品を「アンアン」に出
したんですね。だから原価が650円です。

仕入れ代は僕はリコーさんからコピーを入れていましたから、シ
ートもコピーも全部無料です。僕の貼り賃は僕の給料の中に入っ
ていますから650円です。

で、しかも箱が作れないんです。印刷屋さんに言うと経済ロット
が3000か5000ですから、その商品を60本しか買ってきていないの
に、そこで5000も作ると大変ですから、箱がないんです。

当時どうしていたかというと、エアパックに巻いて送っていた。
でも考えてみると、化粧箱の写真は広告には使ってない。
そもそも化粧箱がないんだから。でもこれが売れたんですよ。
気をよくしまして、

「いやー売れました、他にないですか」と音田さんに言ったら、

「JJ」と「キャンキャン」と「クロワッサン」との
連合広告枠に拡大そこで一気にバーッと行ったんですね。

儲かるエッセンスはいくつかあります。
当時僕は24歳で常識はないですから、ものを売ったこともなけ
れば、通販をやったこともない。編集部と話をしたこともない。

CPOという言葉も知らない。パッケージでないといけないとい
うことも知らないですね。食品衛生法とも知りませんから、必ず
これを表記していないといけないということも知らない。
それからバーコードをどうやってとっていいかも知らないので、
バーコードもない。だけど商品はできるんです。

かつ60本譲ってくれと言うと、とても非常識なオーダーが静岡の
会社がそれを了承してくれたのですね。堺さんという専務なので
すが、面白い人で、僕が11時半に静岡に行ったら車で迎えに来て
くれて、とんでもないオーダーを言ったらニコニコしてくれて、

「お前は博多からたった60本」

650円で60本かけたらいくらになるかわかりますよね。

「お前はそんなしょぼい話でここまで来たのか、お前も大変だな」

と、特上のにぎり寿司をおごってくれた。でも結果1年半の間に
この会社から月間5000万円ぐらいオーダーを入れていましたから、
その会社の判断は間違っていないですね。

だけど考えてください、お金がないので、支払いサイドが90日です。
非常識ですよね、でも反対に考えると90日で僕が最悪払わなくても、
堺さんがポケットマネーから払えば何となる話でしょう。
当時会社の内容もないような会社ですから、会社案内も持ってきて
ないし、でも大丈夫なんです。そいうことなんです。

僕が何か勘違いして、
「堺さん、6万本買いますよ」。
で、「支払いサイドは30日で」なんて言ったら、余計詐欺っぽく
て気持ち悪いです。だから60本で、90日で、しかも650円、この
黄金のゴールデントライアングルが完成するわけです。

それでマーケット的に今、これから2、3年くらい経って、僕的に
反省しみたら実は当時の雑誌というチャネルを使って、販売され
ていたライバル商材のプライスゾーンが1万4000円から1万2000円
なんです。当時1万4800円のマイクロダイエットのサニーヘルス
があって、これが一応メジャーな商品だったので、そのラインの
プラスマイナス2000円から3000円くらいで、商品が売買されてい
た。

そこに1980円ですから、今の100円均一の商品みたいなイメージ
だったと思いますよ。ただこういう昔で言うカテゴリーキラー
みたいな話ですよね。

当時デパートで紳士服を売っていて、そこに洋服の青山さんがで
てきて、ハルヤマさんがでてきて、デパートでものが売れなくな
って、全部郊外型の紳士服になった。

そのスピード、その流れになったのは、やはりどこかでカテゴリ
ーキラーは、また新たなカテゴリーキラーに加えてという流れで
すよね。僕も全く同じでした。

1980円にして、半年1年経たないうちに日本の雑誌のダイエット
のプライスゾーンが一気にこのラインになってしまいました。

その通販事業部のテストを8ヶ月くらいやって、ちょうど12ヶ月
で月の売り上げが1000万円になりました。当時は僕はどのくらい
売ったら採算になるのか、全然わからなくて、もう1000万円売れ
たことでとても有頂天になった。何しろ24歳ですから。

何もよく考えていない。でも調子に乗るものですね。
怖いですよ、若いやつは。完全に天狗でしたから。当時会う人会
う人に僕がなんて言っていたかというと、

「今僕の肩には神さまがいる」
「その神さまは売り上げの神さまで・・・」

なんてことを本気で話していました。

で、その時に、当時の社長がいるのですが、社長が大阪から新幹
線に乗ってやってきて、

「売り上げ目標1000万円達成おめでとう」と言うんですね。
「次の目標は1500万円か2000万円か」と言うんですね。

で、「5000万円か」と言うのでカチンと来て、

「1億円」と言ったんですよ。ちょうどその時にソニーがプレイ
ステーションを出していて、「行くぜ100万台」とか言っていて、
凄いキャッチコピー、スローガンですね。

それで僕が出したスローガンが「行くぜ100万本」。
次の売り上げを1億円にしようということで、当時いろいろ考えて、
この時に考えた商品が、イチゴミルクダイエットという商品です。

これがバカ当たりしました。

福岡の高宮に夜中の4時頃までやっているバーがあるんですが、
そこでたまたま友達と話をしていて、

「何か凄いなあこんなに売れちゃって・・・・」
「でもこんなのでいいのかな、そろそろ次の商品考えないと
 いけないし・・・・・何味にしようかな」

という話をしていて、僕は小学校の時にサクマのイチゴミルク
キャンデーが大好きだったのです。だからちょっとミルクが入っ
ていて、

「あんなので痩せたら良いよね」という話をしたら、

面白いという話になって、それで次の日に会社に行ってすぐに、
製造を委託していたところに提案をして、今で言うとチュアブル
という言い方をするのですが、そういうサプリメントを使ってく
れとオーダーしたんですね。

オーダーの内容は香料をちょっと入れて、ダイエットの成分とい
われるものをちょこっと入れたものを480円でロットは 1000本。
だけど追加オーダーは500本作るというとても無茶なもの。

そしたら1週間後くらいにサンプルが上がってきたのです。
ナンデスガ、とても食えた代物ではありません。それなりのもの
が上がってきてたらそのまま終わっていたかもしれないのですが、
あんまり上がってきたのが「まずい」ので、サクマの飴みたいな
味にと探求心が生まれてきて、それで作ったのです。

<オカザキ講演禄 (5)へつづく>



 

  2002年07月29日   岡崎 太郎