33歳のある日、知り合いの紹介で地元のLOVEFMさんで 週一のコーナーを持った。15分間だけど生放送で夜6時45分 から7時まで福岡県全域に放送された。 |
この放送後、中学校時代の親友から電話をもらった。
「そういえば、太郎はラジオやりたいって言ってたもんなぁ」
僕は驚いた。言われてすぐに思い出したのだが、この10年く
らいはそんな想いを抱いたことさえまったく忘れていた。
たぶん当時聞いていた佐野元春の影響が強いと思うのだけど
丸刈りの中学生の僕は、DJって面白そうな仕事だなぁと思って
いた。
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かれこれ中学2年生の時のことだ。僕は同級生のある女の子が
気になっていて在籍は美術部のまま彼女のいる放送部に入り浸っ
ていた。
この頃、放送といえば平日はAMラジオで、九州ローカルのK
BCで毎日放送されていた「僕らラジオ異星人パオーン」を聞い
た後オールナイトニッポンの一部までとおしで聞いていた。(パ
オーンのエンディングがPLAYERのBabyComeBackで今でも好きだ)
ちなみに土日はFMで洋楽漬けであった。
放送部の仕事としては、お昼休みの時間に校内放送にポップス
を流すというのが日課だったわけだが、僕のセレクトは笑福亭鶴
光師匠のオールナイトニッポンで大人気コーナー「この歌はこん
な風に聞こえる」だった。(タモリの空耳アワーとほぼ同じ)
先生には大ヒンシュクで友達は大喜びだった。
その後、音楽はMSGにUFOとヘビメタ路線を突き進む。
ところが職員会議で問題になったのかは知らないが、ある日洋
楽禁止令がでて昼食時はクラシックのみという事になった。
おかげで僕は30歳までクラシックに敵対心を持っていた。
人生の大いなる損失だったと思うが仕方ない。
そんな事まで想い出した。
そう僕はラジオが大好きである。聞くのも話すのも。
先日も沖縄の琉球ラジオ放送さんで収録があった。僕がラジオ
が好きだと話したら、レギュラーを持ちませんか?といわれた。
ありがたい話である。
でも沖縄に通う時間は今はない。でも忙しいなんて言ってたら
実現できないのかなぁ?
やっぱり東京でやりたいなぁ・・・
AMで深夜枠で生で思いっ切り好きな音楽流しながら話しまく
る。もちろんFMでもOKだけど。
そんなわけで今日は僕の野望と思い出話でした。