516-ラジオ

 

 33歳のある日、知り合いの紹介で地元のLOVEFMさんで
週一のコーナーを持った。15分間だけど生放送で夜6時45分
から7時まで福岡県全域に放送された。

 

 この放送後、中学校時代の親友から電話をもらった。

「そういえば、太郎はラジオやりたいって言ってたもんなぁ」

 僕は驚いた。言われてすぐに思い出したのだが、この10年く
らいはそんな想いを抱いたことさえまったく忘れていた。

 たぶん当時聞いていた佐野元春の影響が強いと思うのだけど
丸刈りの中学生の僕は、DJって面白そうな仕事だなぁと思って
いた。

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 かれこれ中学2年生の時のことだ。僕は同級生のある女の子が
気になっていて在籍は美術部のまま彼女のいる放送部に入り浸っ
ていた。

 この頃、放送といえば平日はAMラジオで、九州ローカルのK
BCで毎日放送されていた「僕らラジオ異星人パオーン」を聞い
た後オールナイトニッポンの一部までとおしで聞いていた。(パ
オーンのエンディングがPLAYERのBabyComeBackで今でも好きだ)

 ちなみに土日はFMで洋楽漬けであった。

 放送部の仕事としては、お昼休みの時間に校内放送にポップス
を流すというのが日課だったわけだが、僕のセレクトは笑福亭鶴
光師匠のオールナイトニッポンで大人気コーナー「この歌はこん
な風に聞こえる」だった。(タモリの空耳アワーとほぼ同じ)

 先生には大ヒンシュクで友達は大喜びだった。

 その後、音楽はMSGにUFOとヘビメタ路線を突き進む。

 ところが職員会議で問題になったのかは知らないが、ある日洋
楽禁止令がでて昼食時はクラシックのみという事になった。

 おかげで僕は30歳までクラシックに敵対心を持っていた。
人生の大いなる損失だったと思うが仕方ない。

 そんな事まで想い出した。

 そう僕はラジオが大好きである。聞くのも話すのも。

 先日も沖縄の琉球ラジオ放送さんで収録があった。僕がラジオ
が好きだと話したら、レギュラーを持ちませんか?といわれた。

 ありがたい話である。

 でも沖縄に通う時間は今はない。でも忙しいなんて言ってたら
実現できないのかなぁ?

 やっぱり東京でやりたいなぁ・・・

 AMで深夜枠で生で思いっ切り好きな音楽流しながら話しまく
る。もちろんFMでもOKだけど。

 そんなわけで今日は僕の野望と思い出話でした。

 
  2006年02月28日   岡崎 太郎