523-バングラ3

 

 着陸時に飛行機の窓から覗いたバングラデシュはのどかな農村
という印象だ。

 飛行機はスムーズにダッカに着陸した。

 

 まず驚いたのは、入国審査前の通路に、なぜかサインボードを
持つガイドらしき人が数人いることだ。

 なぜ?と思っていたら、入国審査の列の最前列に割り込み、さ
っさと入国していく。

 なんて国だ。きっと賄賂と特権が横行しているのだろう。

 また珍しいのだが、入国審査の後ろには、到着客をあてにした
極めて魅力のない商品を並べている免税店がある。外貨獲得の手
段なのだろうか。

 入国すると、ひとまずタイのバーツをバングラの通貨タカに両
替する。レートが高いか安いかなんてわからない。

 それにしてもお札が汚い。汚すぎる。

 僕がお札を数えていると、後ろから日本語で話しかけられた。

「仕事ですか?」彼は干害用のポンプの設置に日本から来た技術
者だそうだ。ちなみにこの飛行機には僕を含めて7人の日本人が
のっていた。

 日本で3番目に大きい靴のメーカー2人。ポンプの技術者1名
ゆうじと僕。そして挨拶するタイミングを逃した2人組のおじさ
ん。

 靴メーカーの人からはバングラとの商売の難しさをとくと聞い
た。バングラは貧乏が理由で輸出の最特恵国になっていて関税が
ゼロだそうで、中国以外の生産地として去年からトライアルして
いるそうだなかなか興味深い。

 このメーカでは有名ブランドのライセンスを多数企画運営して
いる。

 名刺交換をして帰国したら連絡することを約束する。

 その後、荷物を引き取りに行く。なかなか荷物が出てこない。
結局僕のバックは最後の最後に出てきた。

 空港の外に出ると予約していた旅行会社のスタッフが僕を出迎
えた。ちなみにホテルはダッカでは5つ星のシェラトン。ネット
環境をリクエストすると自動的にこのホテルになった。

 空港の出口は予想通り騒然としていた。事前情報では戒厳令か
と思ったなんて予備知識を持っていたからよかったが、もし到着
が夜だったら恐怖を感じただろう。

 なにせ鉄の柵で仕切られ、裸足のストリートチルドレンに大人
の物乞いに白タク業者。とにかく統制という言葉が見当たらない
のだ。

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 空港からは車で1時間かけて移動した。途中スラムを横目に
バザールを横目に車は、ひどい交通渋滞を乗り越えホテルに到着
した。

 ホテルの入り口では空港にあるのと同じセンサーをくぐり、
エックス線での荷物検査を受ける。安全の代償なのだろう。

 部屋はまずまずで安心した。

 ただしネット利用は1日800タカ。これは高いというか日本
のホテルと変わらない。ちなみにホテル内のカフェで珈琲が20
0タカ(約350円)。市内で飲めば2タカ。約100倍の価格差
がある。つまりここは外国なのだ。

 時間は現地時間で昼の2時半。

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 さっそく僕は今回お目当てである友人の黒田を探しに街に出た。
地図で確認すると徒歩5分で彼のいるダッカ大学がある。

 彼はそこで個展を開いている。

 行けばどうにかなるだろう。そんな感じだった。

 ところが、道の標識が無いせいもあって、自分がどこにいるか
がわからない。道に迷うのは地図が読めないからではない現在地
と方向感覚をなくすことが原因だ。

 しかたなく「リキシャ」に乗る。日本で言えば自転車の人力車
だ。

「ゴー ダッカユニバーシティ、ハウマッチ?」と僕は事前に交
渉をする。

 ところが英語がわからないのか、大きくうなづきとりあえず乗
れという。しかたなく僕は50タカを渡すが、どうも不服そうな
のでもう1枚渡す。後で教えてもらったのだが適正価格は30タ
カだそうだ。こっちが勝手にあげたのだから問題はないが、10
0タカとは彼らの平均日給だそうだ。

 僕が簡素に作られたシートにおさまると、リキシャは力強く進
みはじめた。そういえば北京でもNYでもバンコクでも日本でも
乗ったが写真を撮るには最適のスピード最適な高さだ。しかも撮
影していて後から襲われる心配もない。

 なぜかリキシャは大まわりをしてダッカ大の敷地に滑り込んだ
サービスのつもりだったのだろうか?

 大学は予想以上に広大で敷地の中にストリートチルドレンやホ
ームレスが普通にいる。これが現在のバングラデシュの実情なの
だ。

 さて黒田はどこにいるのだろうか。

 とりあえずミュージアムかギャラリーに行けば会えるだろう。

 ところがこれが問題のはじまりだった。この大学には複数のギ
ャラリーやホールが点在している。しかもリキシャの兄ちゃんは
英語が話せない。

 とりあえず。ミュージアムらしき場所で降ろしてもらう。

 僕は聞き込みをはじめた。

 
  2006年03月15日   岡崎 太郎