527-バングラ7

 

 また渋滞だ。

 行きと同じだけ時間がかかる。黒田さんにケイタイする。
ほんとにボーダフォンは便利だ。

 

 ホテルでお土産の真鍮製品を部屋におき「ゆうじ」と合流する
と、すぐにタクシーで黒田のいるSTCに向う。

 知り合いの「ひろし」というアーティストがいるそうだ。

 STCの駐車場に車を待たせる。今日は23時まで貸切になっ
ている。

 黒田は今日最後のベンガル女性を描いている途中だった。

 会場には10人程度の人がいた。僕は「ひろし」を探す。とこ
ろが僕と黒田以外日本人らしき人はいない。まだ来ていないのだ
ろうか?

 そのかわり日本人らしき女性がいたので挨拶をする。

 彼女の名前はリナさん。なんと福岡にあるアジア美術館のキュ
ーレーターでたまたまバングラのアーティスト発掘のために3週
間の日程で来ていたのだ。彼女もタフだ。なにせ単身で外務省が
注意勧告しているチッタゴン地区へもお構いなしで乗り込むのだ
からね。

 ちょうど彼女はベンガル人アーティストのプレゼンテーション
を受けている途中だった。僕は彼女らのやり取りを横で聞く。

 整理された作品の写真を見せてもらう。そのコンテンポラリー
アートの数々から彼の才能を感じる。すでに国際的な評価も高い
そうで様々な芸術祭から招待されているそうで、去年開催された
横浜トリエンナーレにも出展していたそうだ。

 黒田が仕事を終えて僕らのところに来る。

「こちらリナさんね。もう紹介はすんだ?」

「はい。同じ福岡なんで驚きました。」僕は応えた。

黒田はうなずくとベンガル人アーティストに目線を移し
「彼はフィロシ。彼とは去年で横浜でね」と僕に紹介した。

 あっ!ヒロシではなくてフィロシさんなんだ!

 僕は正直にその話をした。フィロシさんは
「いいですよヒロシで。そう呼んで下さい」と笑った。

 彼は多摩美に留学しているそうで日本語も堪能だ。

 ひとしきり僕らは話をすると、イスラム圏では珍しくお酒の飲
める会員制のレストランへ移動する。

 僕と黒田とリナは後部座席にゆうじとフィロシさんハ助手席に
重なるように乗り込むと定員オーバーのタクシーは動き始めた。

 この国には交通ルールなど存在しない。

 なにせ平気で逆走する国だ。その分事故は日常茶飯事。

 大通りから車一台分の幅の細い道の奥まったところに、そのレ
ストランはあった。表には看板もなくここがレストランかどうか
さえわからない。

 錆びた鉄の階段を登り二階にある扉をあけると店内は真っ暗で
左右の壁に一台づつ取り付けてある14型の小さなテレビが青い
光を放ち異様な雰囲気を醸しだしている。

 顔の判別はまったく不可能。イスラムの戒律では飲酒はNGな
ので顧客同士の顔が見えることはNGなのだそうだ。

 奥の個室に案内される。とりあえずハイネケンを注文する。

 食事は鳥のベンガル風唐揚とカレーにフライドポテトにタイ風
スープ。それからビリヤニとカレー。

 闇なべ状態での食事は美味しいはずがない。

 食事の楽しみのひとつに、綺麗に盛り付けられたお皿ってのが
ある。ソースの色あいを考えたり野菜の盛り付けだったり器のデ
ザインもそうだがそんなセンスはこの国にはないようだ。

 会話は弾むタイミングをつかめずに食事の合間を埋めていく。

 黒田が言う。1日の食費を300円以下で生活している人口が
世界の半分以上だそうだ。つまり1食100円以下。たしかにバ
ングラでは、その金額あれば腹いっぱい食べれる。

 ちなみにリキシャの日給は100円程度だ。

 食事が済むと待たせていたタクシーで全員を送りホテルに戻っ
た。

 僕とゆうじは、シェラトンのバーで飲みなおした。

 ビールとスコッチで乾杯をした。バーに常設されているテレビ
にはテロの様子が映し出されていた。爆破されたビルの一室で血
をドクドクと流して横たわっている男や真っ黒な死体。

 聞けば今日のお昼ごろ、警察がテロのアジトに爆弾を投げ込み
一網打尽にしたそうだ。警察署長が誇らしげに会見している。

「なんて国だ・・・」僕とゆうじは顔を見合わ溜息をついた。

 ビールを2杯とウイスキーをショットで2杯。たったこれだけ
で日本円で8800円だった。ベンガル人なら1ヶ月の食費にな
る。

 今日も長い1日だった。

 
  2006年03月21日   岡崎 太郎