560-17歳の面接

 もう10年以来お世話になっている方から息子の相談を受けた
彼は17歳になったばかりの高校2年生。

 
理不尽な教師の暴力に耐えかね高校をドロップアウトした。

 中学校はバトミントン高校は硬式テニスと運動部で体育会系で
礼儀礼節をわきまえている。まだ線は細いが根性はそれなりにあ
るようだ。

 今は昼の11時から23時まで「お好み焼き屋」でバイトをしてい
るという。

 お父さんからの相談はこうだ。

「コンピューターが好きみたいなんです。もしできたら岡崎さん
のところで面倒見てもらえませんか?」

 そんなわけで17歳の当人と会った。

下記その感想です。

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 人生は人との出会いで変化する。

 直接遭っちゃうのが一番刺激的ではあるが、テレビや雑誌や本
を介しても影響はある。

 所詮自分で判断できる領域というのは狭い。

 17年間の経験や知識なんて世界全体からいえば、ほんの少し
だ。それなのに人は自分が一番正しいと思っている。

 知らない領域には、たくさんの可能性が眠っている。

 その領域を垣間見せてくれるのが人との出会いの効果だ。

 その感想が「おもしろそうだ・楽しそうだ」であれば興味も出
てくる。興味が出てくれば頑張ろうとする。

 そんなもんだ。

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 17歳の可能性なんて、36歳の僕から見れば無限大だ。
 ところが話ながら思い出したのは自分の17歳の時だ。 

 僕は絶望までは大袈裟だが、自分が成功できるイメージなんて
出来なかった。田舎育ちな上にけして貧乏ではないが裕福ではな
い。大学進学なんてやる気もないし・・・。

 そして成功できない事をどんどん正当化した。
 「金持ち」になりたいという欲求はあるのにだ。

 欲求を自分で打ち消して悶々唸っていた。

 欲求はあっても自信がないから悶々。若さ故・・・もう二度と
戻りたくない不健康な状態である。

 17歳の可能性も当人が信じれなければ意味も糞もない。

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 世の中のしくみを意識し全体を見通せる視座の高さを身につけ
て欲しい。マクロとミクロその両面から考えることができる柔ら
かい思考回路がこれからは必要だ。

 まずは自分の頭でしっかり考えること。

 受け取ろうとドアを開けることだ。

  2006年06月23日   岡崎 太郎