自己責任という言葉がキーワードだ。と書いたのはオカザキマ
ガジンの第1号だったけれど、最近なにかと自己責任という言葉
を巷で耳にする。
たとえば郵便局や銀行の窓口で、また営業活動でそれまで投資
の「と」の字と関係なく生活してきた高齢者に「これからは投資
の時代ですよ」なんて売り言葉で投資ファンドや債権を販売して
いる。
もちろん締めのセリフは「自己責任」だ。
最近あるバーで話をしていてつい言葉が口からこぼれた。
「自己責任はストイックだ」
「情報をどれだけ収集分析しようとも完璧にはおよそ程遠い。最
後は直観にしたがってエイヤと決断するしかない」
「投資は所詮、博打なのだ」
「買う判断に売る判断。
判断の前にもっともらしい情報があろうと営業マンの入れ知恵
があろうと、判断は自分がするものであることに変わりはない。
要約すれば「判断」したこと、その事だけに自己責任が在ると
考えなければいけない。
結局、「乗るか?反るか?」自分の下した判断に責任を持つこ
と、ただシンプルにそれだけの責任を持てるかどうかなのだ」
そんな話をした。
投資における自己責任とは、結果「損」をした場面においてそ
の損を飲み込めるかという事。情報収集をあれだけしたのになん
て悔やんでみても損をした現実は変わらない。
もちろん勉強しないものが儲けれるほど甘い世界ではない。
しかし勉強すればかならず勝てるという世界でもない。
そこに精神的な強さがいる。
一番駄目なのは、判断をしないという判断をして状況に流され
ることだ。「判断をしない判断」というのは勇気のないこと。
正しい判断だったかどうかは判断をした時点ではわからない事
が多い。それでも自分が信じる判断を下したいものだ。