守(しゅ)・破(は)・離(り)とは、不白流茶道開祖の川上不白(江戸時代中
後期の茶匠)が『不白筆記』(1794年)であらわした茶道の修行段階を教え
で指導者から物事を学び始め、独り立ちするまでには3つの段階を順にすす
んでいくという考えを言葉にしたもので、後年諸武芸全般において修行段階
を説明する言葉として使われている。
(よく世阿弥の花伝書『風姿花伝』にあると言われているが『風姿花伝』
自体には守破離という単語そのものは出てこない。書かれているのは
「序・破・急」であり、まさに「守・破・離」の原点であろう)
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『守』
指導者の教えをひたすら素直に学ぶ姿勢で、多くの話を聞き、指導者の行
動を見習い、指導者の価値観させも自分のものとして体得していきます。
基本の作法、礼法、技法を身に付ける段階です。
どの道にも必ず型というものがありますが、その型を習得するには、型ど
おりに何度も繰り返し稽古を重ねることしかありません。
まして未熟な状態で下手なアレンジを加えることは、伝統を守る上におい
ても簡単に許すことはできません。
ですからある一定以上の修行を積み、免許皆伝を得るまでは、ひたすら学
ぶという姿勢を貫くしかないのです。
クロフネカンパニー代表の中村文昭氏は自身の体験からこう語っています。
「守の時代は、師匠の依頼には0.02秒でYESと反応せにゃアカンやった。
なぜってNOは無いんですよ。NOってのは師匠に意見をすること。
自分の都合を前に出すことは出来ないのです」
さすが中村さん!そりゃそうだ。つい師匠の言葉に、己の考えが正しいの
ではと思ってしまうのは、師匠を理解しようという想いより自己が可愛い方
が強いわけです。それは教えてもらっているという立場を弁えてないって事
なんですね。
だからこそ、まず師匠を選ばないといけません。なにせ一歩間違えば指導
者の都合のよい詭弁にもなる諸刃の剣だからです。
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『破』
免許皆伝を受けると、次は「教え」を守るだけでなく、「破る」行為に
チャレンジをします。 まぁ破ると言うとなんですが、よりよくなる方向で
工夫を重ね「教え」を更にパワーアップさせるといえばいいでしょうか?
殻を破るなんて表現がありますが、今まで学んだことを洗練させ、自己の
個性を創造する段階です。
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『離』
自らの新しい独自の道を確立させる最終段階のこと。
そのために指導者から離れ、自分自身で学びさらに独自の世界を創り発展
させていく終わりのない道のはじまりなのです。
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紹介してきたように「守」とは「教え」を学ぶ時期であるが、正しい学び
方、正しい姿勢をいかに徹底するかによって「破」のあり方が決定されるの
だと感じた。
よき師匠との出会いは、最大の秘訣であることは言うまでもない。
世阿弥が父の教えを忠実に守っていた「守」の時期とは、まさに彼の処女
作『風姿花伝』を38歳で書いた頃で、その内容は父の教えである「物まね
の効用」を説いた稽古論だった。
その後、世阿弥は多くの優れた芸道論を残したが、内容は「物まね」論の
深化発展であり、それは父の教えに対する「破」の行為だったのだろう。
それは父の教えの自然な展開という気持ちだったかもしれない。
後年書かれた『拾玉得花』で「安き位」と「安位」を区別し紹介している。
「安き位」とは意識のある次元においての「わざ」の最高到達点だが
「安位」とは「わざ」と「心」と「身」が意識を超えた無心の次元である。
なるほど、この「安位」こそまさに「離」の段階ですね。
うーん深いぞ世阿弥!
さっそく現代語訳でも読み返してみよう。
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■補足
世阿弥の花伝書『風姿花伝』にある「序・破・急」とは
能の構成は五番立てになっており「序・破・急」の流れが念頭に置かれて
いる。まず「序」ではゆったりとした雰囲気で能の世界に入り込んでいくた
めの場を作り。ついで2番3番の「破」では物語の展開で分かりやすく動き
の激しいものがいいとされる。最後に4番5番の「急」では短くそして躍動
的に終わりを迎える。
世阿弥の『花鏡』によれば、
「序」とは、自然の素直な体[てい]であり
「破」では、序を破って細かにさまざまな演技を尽くす体[てい]であるとし
「急」については、その破を尽くした後の、更なる名残の一体として
「乱舞・働き、目を驚かす気色」だと述べている。