631-スプーン曲げ【第二章 安物のスプーン(2)】

「するとなんだ?10年前に願ったことが、ずいぶん遅れて成就したと言い
たいわけか?」納得のいかない顔で山本は僕に向きかえった。
 理屈に無理があるのは百も承知だが結果曲がるんだから仕方がない。


 

「まさに覚醒ですね」バーテンが口を挟んだ。

 しかしスプーンを曲げるだけでは何の意味も価値もない。曲がらないモノ
が曲がる。世の中には科学では解明できない事があるという事実を提示する
価値はあるが・・・。

「その仮説はどうであれ、結局今はこの場で曲げちゃうんだから立派なもん
だよ」山本はすっかり関心していた。

「こんな経験ないか?」
 
「俺に超能力はない」山本がすっぱりと言う。

「違う違う。聞きたいのは願いが遅れに遅れて自分でもすっかり忘れた頃に
達成したって言うのかな、そんな経験はないか?」

「忘れるほど遅れてか・・・」

「思い出してみてくれ」僕は語尾を強く頼んだ。
 山本は宙に目をやるとスコッチをぐいっと飲み干した。

 しばらく静かな時間が流れた。山本がチラリと僕のほうを見た。
「あるな。ある。・・・この間、外人の大御所アーティストのドーム公演が
あったろ?ほら先月。取引先からチケットもらったんで行ったんだが・・・
すっかり忘れていた」

「何を忘れてた?」

「・・・その外タレ、昔付き合ってた女が大好きでさぁ。コンサートに行こ
うなって約束してたんだ。結局その約束は果たせないままだったんだが」

「何年前だ?」

「6年か7年前かなぁ・・・あの時たしかに行きたいと約束した」
 たしかに偶然かもしれない。しかし大切なことは何を信じるかだ。僕は山
本の背中に手を置き話を続けた。

「山本。これは可能性の話だが、もしかすると想いや念というのは着実に実
現してるってことじゃないかと思うんだ」言葉にしてみると案外そうかもと
思えてきた。

「願っていたという事すら忘れてる場合は、実現したという自覚がない」僕
は断定的に話した。

「つまり忘れてるだけで、やたらたくさんのコトが実現してるということか
?」山本が呆れた声を出し空になったグラスを持ち上げた。

「同じものでよろしいですか?」無口なバーテンが低い声で尋ねる。「そう
だなぁ俺もダイキリ貰おうかなぁ?」

 僕は信じてみて損の無い仮説だと思えてきた。

「そういえば昔読んだ本の一節に、今叶ってない望みは叶ってないのではな
くて、叶っている途中なんだというのがあった」僕は口を開いた。

 

  2007年02月28日   岡崎 太郎