729-アフリカ紀行 No11 DAY7 20080305 サンデューン

06:30 朝日を撮りにホテルの外へ

 太陽が顔を出す直前、雲間からオレンジの光線が零れ出し周囲がメラメラ
と燃えるように赤く染まりだした。この一瞬を逃すとギラリとしたボスが登
場してあっという間に朝焼けを消してしまう。

 

通勤なのだろう車が増えてきた。きちんと洗車されたきれいな車ばかりで
年式もここ10年内の車体ばかりだ。自転車やバイクは少ない。

07:30 ホテルのビュッフェで朝食。普通の洋食である。

08:30 いきなりガイドが寝坊で遅刻。

09:00 30分遅れでガイドの事務所へ、遅刻はしたが手際よくナミビア滞在
中の予定を組み立ててくれた。彼女の英語はとても早いので、カタログや筆
談で僕の理解は半分程度だ。

 まず提案があったのは、ソフススレイにあるデューン45という砂漠はと
ても遠いので、もっと近場にも素晴らしい場所があるぞというもの。一瞬そ
れでもいいかと思ったが、やはりナミビアといえば、赤砂の砂漠であり、中
でもデューン45はメッカである。ここまでやって来て遠いも何もない。

 行かなくて後悔よりも行って体験して後悔の方が100倍いい。
 
 昨晩はリーズナブルと言っていたのだが、せっかくだからこの際というス
タンスの僕の要望が増えるにつれ見積り金額は跳ね上がっていく。

 セスナ・熱気球・バギー・砂漠の中のホテル。たった3日の内容に見積り
額は軽く40万円を超えた。

 電卓を叩きながら、やっぱりデューン45は諦めようかなぁと考えていた
ら、ガイドが神妙な顔で「君が見たヴィジョンを実行することが、君のソウ
ルを満たすことだよ」と行ったので、やはりセスナを予定に組み入れること
にした。
 
 一時間の話し合いの末ようやくスケジュールが決定。今日はサンデューン
というサバンナのど真ん中にある宿に移動してゲームドライブをすることに

 カードの支払いをトライするが、何度やってもできずにアメックスのキャ
ッシングで数回にわけてキャッシュを引き出し支払う。

10:30 白人3人(スロバニアから来たロバートとヴァーニァとアイルランド
から来たクリス)と合流。今回のツアーは彼らと行動を共にするらしい。

 彼らは軍で働く弁護士。ちょうど数十カ国が参加するミリタリーロイヤー
の世界大会に来ているらしいのだが、内容があんまり退屈なので抜け出して
来たと言う。

11:00 地元のスーパーで水やお菓子を買い込む。道中は長いからね。ジン
バブエと違い、とても近代的な店内。驚いたのは生のオイスターが水槽で販
売されていた。

 ナミビアの中心地から住宅密集地を抜けバイパスに出る。街並はまさにド
イツにいるようだと白人達が話している。僕はドイツへ行ったことがないの
でよくわからない。ナミビアはドイツの植民地だった関係で地名もジャーマ
ンな感じのものが多い。

 バイパスはとにかく一本道で道路の状態はすべてアスファルトで最高。と
ころどころ「サイ」や「鹿がジャンプしている」イラストが描いてある警告
板が見える。

 郊外に2時間走ったところでラジオの電波が入らなくなった。なにせ民家
らしき建物をもう一時間は見ていない。ところが携帯電話を見るとアンテナ
は3本ばっちり立っている。日本とは携帯電話の方式が違うのだろうか?

 日本で計画をしている時イリジウム携帯を借りるかどうかを真剣に考えた
のが馬鹿らしい。ナミビアの携帯事情は最高水準である。

 サンデューンまでの道中、アフリカの現状について意見交換。ナミビアや
ボツヌワ・ザンビアそして南アフリカといった南部は別にして北部は相変わ
らず紛争や深刻な貧困や病気など大変だそうです。

13:30 3時間走ってようやく、サンデューンに到着。サバンナのど真ん中
で周囲360度一切ほかの施設がないので静かで鳥と元気なハエの飛ぶ音し
か聞こえません。

 部屋はロシア製のテントになっていて電気も電話もありません。ちなみに
シャワーはもうもうと薪を燃やし沸かします。テレビもエアコンも照明もな
しです。完備されていた近代的なデザインの防虫スプレーがミスマッチでし
た。マラリアの危険性はほぼないそうですが100%ではないそうです。

14:30 遅めのランチ。チキンステーキとビールと赤ワイン。

 宿泊者のコメントを見ると、アメリカ・カナダ・ヨーロッパ・オーストラ
リアと白人ばかりで、アジアはシンガポールだけで、日本人は僕が初だそう
です。聞けばまだ出来て間のない新しいロッジだそうです。

ゲームドライブは17:00から、それまでゆっくりとお昼寝。 

  2008年03月19日   岡崎 太郎