798-竜馬と劉備

映画『レッドクリフ』の影響で以前に購入していた北方謙三の三国志全巻
ボックスに手をつけた。水滸伝に比べれば短いけれど、それでも13巻とい
う長さは読み始めるのに勇気がいる。
(読み始めてしまえば北方ワールドに吸い込まれ、あれよあれよと完読して
しまうんだけどね)


 

 先日16歳になる息子と二人でタイはサムイ島に7日ほど行った。
僕は『三国志』息子は『竜馬がゆく』を3巻づつカバンに忍ばせた。

 いつもの旅なら充分な量なのだが、今回は未成年を深夜まで引きずるわけ
にも、ホテルに置き去りにするわけにもいかないので、自然夜は読書の時間
になった。

おかげで手持ちの三国志はほどなく読み終わってしまい、続いて竜馬を読
むということになった。『竜馬がゆく』は今回が三度目となる。
(最後読んだのは29歳で独立を決めた時だったから9年前だ)

 いつものことだが、久しぶりに竜馬を読んで司馬さんの筆力に驚愕しつつ
まぁ竜馬のみずみずしい言動に引き込まれた。

 さてこの2冊の長編の前段をそれぞれ読んで気がついた。
 それは竜馬と劉備の悶々としたフラストレーションという共通事項だ。

 何もなければ迷わないのかも知れない。
 竜馬と劉備は才能に恵まれただけでなく国を憂い「志」を持った。

 幼少時分ハナタレと呼ばれた竜馬は江戸での剣客修行で一躍頭角を見せ
劉備は少数ながら先を見据えた緻密さで「徳の将軍」と名を轟かせてゆく。

 竜馬も劉備も激動してゆく時代の先端で多くの才気溢れる若者と出会い
共闘していく。

 すべてが手の中にあるわけではない。
 充足しているものと足りてないもの。
 
 そして「機」の訪れ。

 動きたいのに動けない。
 そのフラストレーション。 

 引くことの大切さ。

 全編に「苦悩」がある。

 胸に抱いてしまった「憂い」と「決意」
 その想いへ純心すればするほど早急に燃え上がる感情。

 手に入りそうで、まだまだ遠く。

 自分の成長と時代の流れ。
 もちろんすべてを予見することなど1%もできない。

 ただ体中に充満する行き場のない強烈なエネルギーがあるのだ。

 僕もすっかり影響されサムイの夜に悶々とした。

 

  2009年04月13日   岡崎 太郎